僕は昔から、絶望的なまでに筋トレができません。
これまで何度も筋トレを思い立ってはチャレンジしてきましたが、一度として継続できたためしがありません。
一応、僕は20代はずっとガテン系の仕事をしていたので、今でもそこそこ筋肉量はあって、お腹も出ていないし、割と見栄えは悪くない体型をしていると思います。
ただ、30代以降はずっとデスクワークでしたし、運動も趣味で散歩をするくらいでそれ以外は全くしないため筋肉量は明らかに落ちてきていますし、身体の締りはどんどん無くなってきています。
これから先、このまま何もせずに衰える一方なのはさすがに嫌なので、いい加減筋トレを地道に継続して、魅力的な体型(理想はガチムチ)を目指したいと切実に思っているのですが、そこまで切実に思っていても、やっぱり僕には筋トレができません。
筋トレを続けられない理由はとても単純です。
本当に身も蓋もない話ですが、とにかく「退屈でつまらない」からです。
いざ思い立ってジムへ行っても、トレーニングを始めてものの数分で飽きて続けられなくなって止めてしまい、そのまま3日坊主となって終わり、というのがいつものパターンです。
これだけ書くと「少し我慢すれば続けられるのでは?」と思われるかもしれませんが、僕の中に湧き上がるこの「飽きる」「退屈」という感覚は、僕の中では尋常でなく強烈で、どうしても抗うことができないほどなのです。
自分はなぜここまで頑なに筋トレができないんだろう…と昔からずっと不思議に思っていたんですが、これは何かサイコパスの特性から説明ができないかな?とふと思いました。
サイコパスの研究をされているKさんのブログ「サイコパスを操作する」の記事で、サイコパスの衝動的な脳について書かれた記事があります。
つまり僕らの神経系は、「短期的な動機に基づく行動計画を作成する系(尾状核などを含む大脳基底核経路)」と「長期的な情報の蓄積をもとに行動計画を作成する系(大脳皮質経路)」を持っている。
それら2つの情報が上丘などの領域で統合され、運動命令となる。
このバランスが僕らの意思決定の個性を反映するのだが、「眼窩前頭前皮質」や「内側前頭前皮質」が障害されているサイコパスの意思決定は、かなり前者に傾いている。サイコパスを操作する「寛容で衝動的で利己的なサイコパスの脳」より
ざっくり言うと、サイコパスはすぐ目の前の報酬のためには頑張れるけど、未来に手に入るであろう報酬のためには頑張れない、ということですね。
サイコパスが短期的報酬を求めがちというのはよく聞く話しでしたが、それと自分の筋トレの絶望的なまでの出来なさを結び付けて考えたとき、何となく腑に落ちた気がしました。
結局筋トレは、やってすぐに報酬を得られるようなものではなく、地道に継続した結果の未来に報酬を得る行為であるため、未来の報酬がモチベーションとならないのであれば、そりゃ「退屈」して「飽きて」しまうのも当然というわけですね。
過去の記事(現在を刹那的に生きる)でも書きましたが、あらためて自分は、「未来」のことを考えられない人間なんだな…とつくづく実感しました。