少し前、古い知人とかなり久しぶりに会う機会があったのですが、その時その知人から、実は発達障害(恐らくADHD)だったとカミングアウトされました。
ずっと生きづらさを抱えて生きていたことや、発達障害をオープンにするようになってからは驚くほど生きやすくなったことなど、晴れやかな表情で語っていたのがとても印象的でした。
発達障害に限らず、何かしらのマイノリティに属している人は、周りの人にそれをカミングアウトすべきか否かの葛藤を常に抱えていることと思います。
それがどのようなものであれ、カミングアウトについてはメリットとデメリットをよく考慮して慎重に行うべきではありますが、大きく間違えさえしなければ、やはりしないよりはした方が、自分自身が生きやすくなるのは間違いないですね。
そこでふと、僕自身のサイコパス的特性(情動障害)のカミングアウトについてはどうだろうと考えてみました。
まぁ結論から言ってしまうと、それによる困りごとや生きづらさを抱えているわけではないので、ぶっちゃけカミングアウトをする必要性は全くないのかもしれません。
そもそも、仮にしたところで、それを受け入れてもらうのはかなり難しいことでしょうから、やはりカミングアウトは現実的ではないかなと思っています。
ただ、そうは言うものの、自身の発達障害のことをとても晴れやかな表情で語っていた知人の顔を思い浮かべるにつけ、やはりちょっと羨ましいなと思ったりもします。
僕だって、人に理解されず否定されるよりは、理解され肯定される方が良いに決まっていますし、それよりも何よりも、僕の特性を承知してくれている人と色んな話をするのはどんなにか楽しいだろうと想像したりもします。
自分の内面の理解さえままならない今の状況ではまだまだ道のりは遠そうですが、ゆくゆくは自分のサイコパス的特性(情動障害)をオープンにして付き合えるような人間関係をいつかどこかに作ってゆけたらいいなと思っています。