世の中には様々なセクシャルマイノリティの分類がありますが、その中に「アロマンティック」と呼ばれるセクシャリティがあります。
エイロマンティック(Aromantic):誰に対しても恋愛感情をいだかないこと。アロマンティックと表記されることもある。対義語はロマンティック(romantic)。
Wikipedia「恋愛的指向」より
この「誰にも恋愛感情を抱かない」という性質、なんとも興味深いです。
人に対して「情」を感じることはできるけど、その中の「恋情」のみ感じることができないという感覚。
とても不思議な感覚だなと思います。
まぁ一口に「アロマンティック」と言っても、その性質の由来は人によって様々のようで、生育環境や過去のトラウマなどが原因の人もいれば、そもそも生まれながらにそういった傾向がある人もいるようです。
「アロマンティック」の人が、自分は「アロマンティック」だと自覚するのはどんな時なんでしょうか。
自分自身の中に存在しない「恋情」というものが、確かに自分の中に「無い」と自覚するのはなかなか難しいものがあるような気がします。
自分の中に「無い」ものを「無い」と自覚するには、他人との比較から自身の内面を探ってゆくしかなさそうですが、比較したところで結局はその「恋情」というものがどういうものなのか明確な認識はないわけですから、例えば過去に自分が感じた「友情」だと思っていたものが、実は「恋情」だった、なんてことも可能性としては無くはないわけですよね。
そう考えると、「情」はあるのに「恋情」のみ無いという、ある意味「中途半端」ともいえる性質は、なかなか自覚や自認がしづらく、周りからの理解も得づらく、ひいては諦めも付きづらいという点で、当事者の苦悩もなかなか深いものなのではないかと思われます。
そんな「アロマンティック」の人たちに対して、勝手ながら、僕個人としては少々親近感を抱いております。
僕は、一般に「情」と呼ばれているもの全般について認識することがいまいちできないのですが、その感覚を一部共有できるのではないかと勝手に思っております。
そんなことを軽々しく言うと「お前と一緒にすんじゃねぇよ」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、なかなか周りの人に理解されづらいであろう「アロマンティック」の人の感覚について、世間一般の普通の人よりは、僕の方がまだ理解ができるのではないかと個人的には思っています。
いつか「アロマンティック」の人とお話をする機会があったら、是非とも「恋情とは一体どのような感情なのか」というテーマで色々と意見を伺ってみたいものです。