共感性について

僕は、自分自身を「共感性」のある人間だとずっと思っていました。
その理由としては小説、映画、漫画、ゲームなどで感動的な物語を読んだり観たりしたとき、素直に登場人物に感情移入し、感動して涙を流すことができるからでした。

ところが、一口に「共感性」と言っても、それを詳しく掘り下げてゆくと、それほど単純なものではないらしいという事がどうやら分かってきました。

ということで、ひとまず調べ物をするときは、何はさておきWikipediaから見てゆくのは基本ですね。

共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。
共感性がたとえば友情を生み出す。友人になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。

Wikipedia「共感」より

僕はこれまで「共感」というものについて、その定義を調べたことなど一度もなかったのですが、今回初めてその定義を知って驚愕しました。
このWikipediaに書かれていることが本当にそのまま「共感」の定義なのだとしたら、僕にはこの能力はありません。

そして「友情」などに代表される「目に見えない人と人との情緒的な繋がり」を生み出すために必要な能力がこの「共感」というものなのであれば、僕が他人に情を感じることができない理由も確かに納得できるような気がしました。

では、上でも述べたように「小説、映画、漫画、ゲームなどで感動的な物語に触れた時、感動して涙を流すアレ」は一体何なんでしょうか。

調べてみたところ、「共感」とは、情動的な側面と、認知的な側面から構成される複合的な概念とのこと。
ざっくり言うと、情動的な側面「情動的共感」は他人の気持ちや感情を共有したり同情したりすることで、認知的な側面「認知的共感」は他人の心的状態を推測して認識したりすることですね。

そして、こうした共感能力を客観的に測定するものとして心理学者マーク・H.デイヴィスが作った「対人反応性指標(Interpersonal Reactivity Index)」がありますが、この指標では以下の4側面から共感能力の測定を行ってゆくとのこと。

  • 共感的関心:他者に対して同情したり、感情を共有したりできるかどうか
  • 個人的苦痛:他者の苦痛の観察によって、自分自身が恐怖や不安を感じるかどうか
  • 視点取得:他者の視点にたって、その他者の心情を考えられるかどうか
  • 想像性:物語などのフィクションの登場人物に感情移入できるかどうか

上記4つのうち、「共感的関心」と「個人的苦痛」は「情動的共感」で、「視点取得」と「想像性」は「認知的共感」となります。

これをふまえて考えると、自分自身の中に明確に「有る」と言えるのは「認知的共感」である「視点取得」と「想像性」だけ。
つまり、この「創造性」が上で述べた「小説、映画、漫画、ゲームなどで感動的な物語に触れた時、感動して涙を流すアレ」というわけですね。

一方の「情動的共感」である「共感的関心」と「個人的苦痛」については、僕の中には明確に「無い」と思われます。

以上のことをまとめると、僕は共感性のうち「想像性」を持っていることによって、共感性そのものを持っていると勘違いしていましたが、そもそも「想像性」はただの認知能力であって、真に他人と心を通わせるのに必要な情緒的な共感能力は元から持ち合わせていなかったということが分かりました。

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