なんだか聞きなれない言葉ですが、原田隆之さんの「サイコパスの真実」の中で使われていた言葉で、耳障りが良かったので僕も使ってみました。
要は人の性質は生まれ持ってのものなのか、それとも育つ環境で作られるものなのか、という事ですね。
僕には、共感性の欠如および、恐怖・不安・快不快の知覚の歪みなどの「情動障害」があり、これは恐らく僕の脳の一部の機能低下が原因なのではないかと、現時点では考えています。
まず最初に結論から言ってしまうと、僕の「情動障害」は生まれ持ってのものだと思います。
それと言うのも、僕の生まれてからの成育環境はかなり恵まれていて、ほぼ何一つ問題がないと思われるからです。
僕の両親はいたって平凡ながら、とても良心的で愛情豊かな人たちです。
父親は頑固者で厳格でしたが、極めて倫理的で正しい人でしたし、母親はとにかく穏やかで柔和で、誰に対しても人当たりが良く優しい人でした。
両親の仲も良く、家庭不和などかけらもなく、いたって平穏で平和な家庭で、たくさんの愛情を受けて育ちました。
今振り返っても、子供時代、家庭環境や両親に対して負の感情を抱いた記憶がありませんし、本当に恵まれた成育環境だったと思います。
とはいえ、では100%問題が無かったかと言うと決してそうとも言いきれず、僕の人格形成にある意味マイナスな影響を与えたかもしれない環境も、多少ですがあるにはありました。
両親の商売
両親は、僕が生まれる前から商売をやっていて、店も繁盛していてかなり多忙であったため、一般家庭の普通の子供と比べると、親に構ってもらえる時間はだいぶ少ない環境にあったと思います。
ただ、両親は両親でそんな状況を良しとはせず、普段、店が忙しくて僕に構えない分、夜や休日などは僕との時間を大切にすることを心掛けていたそうで、その点に関して僕自身も、親に構ってもらえなくて寂しいなどと思った記憶はほぼありません。
それどころか、小学校に上がってからは、学校が終わっても自宅に帰ることはほぼなく、お店へ行って片隅で勝手に一人遊びをしているか、同級生と遊びに出かけて、両親の店が終わるころに自宅に帰るといったような、僕は僕なりに1人で自由気ままな生活を満喫していたくらいでした。
両親は今でも、この頃のことを振り返って「店が忙しくてほとんど放置してたけど、しっかり育ってくれて良かった」などと笑いながら話します。
親と子供のふれあいが不足すると、子供は愛情不足となり、子供の人格形成に悪影響が出ると聞きます。
「愛着障害」や「アダルトチルドレン」など、自分の異常な性質に気づいたとき、最初そのあたりを疑ったりもしました。
ただ、そもそも「愛着障害」や「アダルトチルドレン」の場合、自分でわざわざ振り返る必要もなく、早い段階から生きづらさみたいなものが出て来ていたでしょうし、そういった生きづらさが皆無だった自分としては、恐らくこれらには該当しないのではないかと今では思っています。
思春期の悩み
中学校に上がってしばらくすると、自分のセクシャリティについて悩むようになりました。
プロフィールにも記載していますが、僕のセクシャリティはゲイで、物心ついたころからすでに女の子に興味はなく、男の子のことばかり見ていたので、恐らく生まれながらの生粋のゲイだと思われます。
インターネットが普及した現在であれば、セクシャルマイノリティは世の中にたくさんいるということがすぐに理解できますが、当時はそんなものは無く、情報も何も無かったので、ただただ自分のセクシャリティは異常なものなのだと否定的にしか捉えることができず、ずっと自分は周りの人間とは違う劣った人間だと思って生きていました。
ただ、自分が劣った人間だとは思っていましたが、特にそれで精神を病んで苦しんだとか、そういったことはなく、淡々と劣等感だけを受け入れて、それ以外は案外普通に暮らしていました。
ちなみに、この悩みは20歳くらいまで続きますが、ある時、インターネットを通じて一組のゲイカップルと出会い、その自然体で暮らす様子を目の当たりにしたことで価値観が逆転し、そこからようやく自分自身のセクシャリティを受け入れることができるようになりました。
自分のセクシャリティについて悩んでいた期間は確かにちょっと辛かった記憶があり、強迫神経症のような症状が出てきたりと、あまり良い思い出の無い時期ではありましたが、これが何か僕の人格形成に悪影響を及ぼしたかと言うと、個人的にはそこまでの事ではなかったような気もしています。
こうしてあらためて考えてゆくと、やはり僕の「情動障害」は生まれつきのものと考えるのが一番自然のように思います。
物心ついたころから今までずっと、自分に共感性があった記憶もありませんし、恐怖・不安・快不快の知覚の歪みなども小さい頃からずっとあったような気がします。
つまり僕は、サイコパス的性質を持って生まれたものの、生育環境が良く、愛情たっぷりに育てられたため(遺伝子の影響もあるのかもしれませんが)攻撃性や衝動性などが発現せず、反社会性も芽生えることなく、結果、このような人畜無害の向社会性サイコパスとして成長したということなのかもしれません。